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訃報 劇団四季 元代表 浅利慶太さんが逝去

劇団四季創立メンバーの一人、演出家で元劇団四季代表の浅利慶太がさん死去のニュースが入ってきました。亡くなられたのは2018年7月13日(金)とのこと。

ちょうど劇団創設65周年の前日・・・心よりご冥福をお祈り申し上げます。

浅利先生がいなければ今の劇団四季はなかったわけですし、現在も浅利演劇事務所の代表として様々な活動をされていたので残念でなりません。

今日は浅利慶太さんについてご紹介させていただきたいと思います。

 

浅利慶太さんとは

戦後の演劇界に大きな革新をもたらした演出家です。慶應義塾大学在学中の1953年7月に慶応大学、東京大学の学生たちと劇団四季を創設。紹介しきれないほどたくさんの功績を残し、長く劇団四季代表を務めていましたが、2014年に代表を退いてからは浅利演出事務所の代表としてご活躍でした。

浅利演出事務所のウェブサイトに詳しく記載されていますので引用させていただきます。

 

【訃報】演出家 浅利慶太
 
 演出家・浅利 慶太(あさり けいた)が、2018年7月13日(金)17時33分、悪性リンパ腫により、都内病院で逝去いたしました。享年85歳でした。浅利は劇団四季創立メンバーの一人で、長年劇団の代表を務めました。2014年に代表を退いてからも、劇団を見守り続けてまいりましたが、奇しくも劇団創立65周年の記念日前日に、演劇人としての65年間を全うし、人生の幕を降ろしました。
 葬儀につきましては親族のみで執り行い、後日、お別れの会を実施させていただく予定です。お別れの会の詳細につきましては、改めて当ウェブサイトでもお知らせいたします。
 
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浅利 慶太
1933年3月16日生まれ
演出家
劇団四季創立メンバー
 (あさり けいた) 
東京都出身
浅利演出事務所代表
劇団四季元代表
 慶應義塾大学文学部仏文学科在学中の1953年に、日下武史(故人)ら10名で劇団四季を創立。 以来、劇団代表/演出家として、ストレートプレイからミュージカルまで、ほぼ全作品のプロデュースや演出を手掛けました。
 『ウェストサイド物語』、『コーラスライン』、『ライオンキング』など海外作品の翻訳上演、『夢から醒めた夢』、『ユタと不思議な仲間たち』、「昭和の歴史三部作(『ミュージカル李香蘭』/『ミュージカル異国の丘』/『ミュージカル南十字星』)」等のオリジナルミュージカルを手掛け、日本にミュージカル文化を定着させました。また、1983年初演の『キャッツ』では、日本初となるロングラン公演を成功させるなど、日本演劇界の興行形態に変革をもたらしました。
 一方、劇団外の活動として、オペラの演出も手掛け、ミラノ・スカラ座など海外の劇場で、『蝶々夫人』、『トゥーランドット』等を上演し、国際的に評価を得ています。1998年には、長野冬季オリンピック開閉会式のプロデュース・演出も務めました。
 さらに長年、社会貢献活動にも尽力し、近年では、全国規模の児童招待事業「こころの劇場」や小学校などへ直接訪問して行う授業『美しい日本語の話し方教室』に取り組みました。
 2014年、劇団代表職を退いた後は、活動の拠点を現在の浅利演出事務所へ移し、「浅利慶太プロデュース公演」として、計12公演の演出を手掛けました。
紀伊国屋演劇賞、菊池寛賞、読売演劇大賞、ドイツ連邦共和国一等功労勲章、イタリア・アッビアーティ賞、中国政府友誼賞他、国内外での受賞多数。
 浅利演出事務所では、次回の『アンドロマック』の公演は、予定通り行います。浅利が最後に企画、準備した作品となり、浅利演出をそのまま再現いたします。キャスト・スタッフ一同、浅利の演劇に対する祈り、作品への思いをしっかり心に刻み、受け継ぎ、舞台を務めます。
浅利演出事務所公式サイトより引用

 

 

ご家族・交友関係

歌舞伎役者の二代目市川左團次は大叔父にあたり、浅利氏の父も俳優として活躍していたそうです。

結婚は3度していますが、いずれも劇団四季の女優さん。現在の奥様は元劇団四季の看板女優、野村玲子さんです。浅利演出事務所の舞台「オンディーヌ」「李香蘭」など現在も活躍されており、年齢を感じさせない美しい女優さんです。

若い頃には石原慎太郎氏、寺山修司氏、谷村俊太郎氏などと活動を共にし、文化界、政治界、経済界などに交友が広く、特に石原氏・中曽根氏のブレーンとしても活躍していました。

 

 

浅利氏が育てた俳優

今回の訃報で多くの俳優が会見を行ったり、コメントを寄せています。

  • 市村正親さん
  • 石丸幹二さん
  • 鹿賀丈史さん
  • 前田美波里さん
  • 川崎麻世さん

他にも

  • 山口祐一郎さん
  • 福井晶一さん
  • 吉原光夫さん
  • 濱田めぐみさん

など演劇界を支える多数の俳優が劇団四季で活躍していました。

 

「他人の時計はのぞかない」・・・名言ですね。

功績・エピソード

「一音落とすものは去れ」など現在の劇団四季の基本理念となっている厳しい指導方法や、観客にしっかり音を届けるメソッド「母音法」などを確立。

配役されていても出来が悪ければすぐに稽古場に戻されるなどの厳しい指導も有名ですが、一方で俳優が俳優業だけで食べていけるシステムを作ったのも劇団四季が初めてといわれています。

ミュージカルのロングラン公演を成功させたのも浅利氏、現在は当たり前になっているインターネットのチケット予約、チケットぴあ誕生のきっかけもキャッツの公演であったり・・・浅利氏なけれがいば現在の演劇界は今とは大きく変わっていたといっても過言ではないでしょう。

またテレビ番組、めちゃイケで、ナインティナインの岡村さんがライオンキングに出演したのをご存知の方も多いと思いますが、ファンからの批判に、会報誌で丁寧に答えている浅利氏の手記があります。ツイッターより引用させていただきました。ぜひ読んでいただきたいです。

 

まとめ

厳しい中にも温かいエピソードも多く、演劇界の父として多くの演劇人が慕い、背中を追いかけていた演劇界の父、浅利慶太さん。演出家としての活躍はもちろん、経営者としても大きな功績を残しました。

若い学生たちが「演劇界に革命を!」とフランス革命の記念日である7月14日に立ち上げた劇団四季は、創立当初の信念の通り演劇界に大きな革命と成功をもたらしたと言えるでしょう。

 

「人生はすばらしい。人生は生きるに値する。」

 

そのメッセージを届け続ける劇団四季は、これからも感動を与えてくれると信じています。

劇団四季ファンのひとりとして心からの感謝を。ありがとうございました!